利用者様の声

利用者様、ご家族の方々に当施設に対する率直なご意見をいただきました。
今後のサービス向上のために、お褒めのお言葉だけではなく苦情(クレーム)も頂戴しております。皆様の声は全てより良い松海リハ道場のサービスにつなげるため、「私たちのためを思っての意見」として受け止めています。

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利用者様の事例紹介

松海リハ道場をご利用いただいている利用者様の日々の事例をご紹介します。

■岩本さんの事例

岩本さん(仮名)が松海リハ道場に通い始められたのは、平成24年6月のことでした。
この施設に来たばかりのころの岩本さんは、お一人では何もできない状態で、何度も入退院を繰り返していました。
医師の診断は「廃用症候群」。食事も介助が必要で、一人では食べることができません。私たち職員が食事をスプーンで口に運ぶと、小さく口を開き、力弱く口を動かしておられました。

岩本さんは自分から発言されることはあまりなく、時折私がする質問に応える程度でした。
食べる量も少なく、お茶碗一杯のご飯を食べるのもやっと、といった感じで、見ている職員たちも「大丈夫だろうか…」と心配していました。

動くことができないため、オムツの中に排泄をし、職員が数時間おきにオムツ・パットを交換し、入浴時には職員二人による介助で入浴をします。拘縮がひどく、脚、腕、肩、首……あらゆる関節が拘縮し、自身で動くことは困難な状態であったため、職員の一人が抱え、一人が洗う。浴槽に入るときも二名で抱えて入浴をしていました。

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ちょうど、岩本さんが松海リハ道場を利用しはじめて2ヶ月ほど経った、ある日のことでした。
朝、職員が送迎に向かうと、苦しげに呼吸をする岩本さんの姿が。

「岩本さん!岩本さん!」

職員の呼びかけにも応答せず、か細い呼吸音がただ聞こえるだけでした。
そのまま施設職員とともに医院へ向かい、医師の指示により大きな病院へ。診断の結果、「誤嚥性肺炎」と判明しました。

「いつ亡くなってもおかしくはない状態です。」

医師からは、このような宣告を受けたそうです。
我々職員も、最早岩本さんにはもう会えないのではないか。と、とても心配になりました。

しかし、病院の手厚い治療に応えるように、岩本さんは見事に回復していきました。病院を退院したあと、当施設にまた通われるようになりました。
「おかえりなさい」
と声をかけることができ、とにかくホッとしたことを覚えています。

回復をしたといっても、体の拘縮はますます進み、車椅子に乗れない状況にまでなっていました。
「岩本さんはこのまま、ベッドで天井を見つめるだけの生活になってしまうのでは……」
そんな考えがよぎり、職員たちは懸念していました。

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私たちは、岩本さんの今の状況をいかに解決するかの話し合いをかねて、様々なアイディアを出しあいました。

「少しでもご自分で動くことができるようになってもらうために、トレーニングをしていこう」
「でも、もし事故や怪我をしてしまったら、誰が責任をとるの?」

と、時には議論を交わし、連携し合い、全職員一丸となって岩本さんについて考えました。
そして、まずは岩本さんの拘縮を考慮し、楽に過ごせるよう、リクライニングシートを導入することを決めました。

このティルト式リクライニングシートの使用によって、拘縮が少しずつ改善されていき、岩本さんは再び車椅子に座ることができるようになりました。
このころ、私達は岩本さんが自分で食事を摂ることが出来たらどんなにいいだろうかと考えるようになりました。また、職員たちにも相談し、あることにチャレンジすることを決めました。

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新潟では雪がちらつき始めた12月頃。
私たちがチャレンジしたのは、岩本さんへ介助を行わない、自立による食事です。
岩本さんにとっても、私たちにとっても大きなチャレンジでした。

実行に際しても、私たちは何度も議論を重ねました。

「本当に実行しても大丈夫なの?誤嚥の可能性もあるし。」
「もしかしたら、まだ時期が早いかもしれない。」

そういって反対する職員もおりました。しかし、私は実行しなければ問題点も分からないと思っていました。
たしかに、岩本さんやご家族にとっても、リスクのあることを行おうとしていることも事実です。しかし、私たちがリスクを恐れるあまり、利用者様に「何もさせない」というのでは本末転倒です。それが職員一同の出した結論であり、それこそが、当施設の理念でした。

自立した食事に対して検討を重ねた結果、シリコン製の持ちやすいスプーンを用いて食事をしてもらうという結論に達しました。
私が岩本さんにスプーンを渡すと、ミキサー食をすくいあげ、自分の手で食べ物を口にしたのです。

「おおっ!」

職員たちからも驚きまじりの歓喜の声が漏れました。

「岩本さん、やったね!」

私も嬉しさがこみあげ、思わず笑顔になりました。岩本さんも周りの人の笑顔につられてか、嬉しそうな表情を見せてくれました。

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思えば、岩本さんは当施設に来た当初は、満足に自分の身体を動かすことも出来ずにいました。自分で食をとれるまでに回復をしたのは、岩本さんの根気強いリハビリの結果です。
岩本さんはそのまま黙々と食事をされ、終わるとスプーンを置きました。
配膳されたお盆の上には、空になった茶碗が並んでいました。岩本さんは、見事に自分の力だけで完食されたのです。

『自分で食事を摂る』。
このことが岩本さんにとっていかに困難であったか。

それを、理学療法士をはじめとする職員たちの連携と、何よりもご本人様の熱意によって、この大きな困難を乗り越えたのです。
私は食べ終わった茶碗を見ているだけで、胸がいっぱいになるのを感じました。

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食事と平行して、歩行にもチャレンジすることになりました。拘縮は根気強いリハビリにより徐々に改善し、関節の可動区分は拡がり、機は熟したとみて歩行訓練の開始です。

「ねえねえ、岩本さん。歩けるようになったらどこへ行きたいですか?」
「うーん。弥彦山に行きたいな」
「あっ、いいですね。じゃあ歩けるようになったら、弥彦山にデートしにいきましょう。そのためにも一緒にリハビリがんばりましょうね」
「うん。楽しみだな。」

こんな会話を交わしながら、岩本さんとの楽しいリハビリが始まりました。
まずは、立ち上がることから。
ひとつひとつ、少しずつのリハビリですが、岩本さんは日々の訓練に休むことなく取り組みました。
リハビリは、理学療法士による入念な関節可動域訓練、座位学習を根気強く行い、筋力の維持・向上のための体操や、レッドコードによるトレーニングをします。
岩本さんは軍隊時代に培った忍耐力でこれに耐え、一度も欠かすことなく体操に参加しました。何よりも、岩本さん自身の回復への強い気持ちが、徐々に身体を回復へと向かわせ、ついに平行棒に掴まって立ち上がることができるようになりました。

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そして、平行棒に掴まり往復歩行するまでに回復されたのです。
今では、日中はオムツを付けずにリハパンで過ごし、トイレへの誘導と少ない介助量で排泄を行えるようになりました。夜間に睡眠される際にはオムツを装着していますが、トイレでの排泄も行えるまでに回復したのです。

立ち上がることと、介助による歩行が行えるようになり、入浴時の介助量も減りました。以前は少なくとも二人がかりで行なっていましたが、今では職員一人による介助で入浴できるまでになりました。

岩本さんが元気を取り戻していく姿を見て、私は人間の素晴らしさを改めて思い知らされたと感じています。
『人は何歳であろうとも、不可能ということはない。』
このことを岩本さんから教わりました。

岩本さんはいつも「ごはん!」「腹減った!」と、軍隊時代に鍛えた自慢の美声で我々に訴えます。
一時は医師に「いつ亡くなっても…」とまで言われた岩本さんが、今では声が大きすぎて、他の利用者さんから「うるさい!」と叱られてしまうことがあるほど、元気に回復したのです。

今日もシリコン製のスプーンでミキサー食を召し上がっている岩本さん。
一緒に弥彦山を歩ける日がくることが、私はとても楽しみです。

—————————–おわり